畳表(たたみおもて)とは
前回の畳の名前の記事でも書きましたが、畳の表面の部分でい草で編んだ1枚のペラペラのござを
畳表(たたみおもて)と言います。
畳表は、足にしっくりなじむように、い草の一本一本に経糸(たていと)というものを絡ませ、
表一なるように、はた織り機に似た織機(しょっき)という機械で丁寧に編んだものです。


この経糸は、綿糸(めんし)、麻糸、マニラ麻糸が使われて、経糸の種類により畳表の
等級区分が分けられています。
ちなみに、マニラ麻糸は、高級畳に使われます。
前回の畳の名前の記事でも書きましたが、畳の表面の部分でい草で編んだ1枚のペラペラのござを
畳表(たたみおもて)と言います。
畳表は、足にしっくりなじむように、い草の一本一本に経糸(たていと)というものを絡ませ、
表一なるように、はた織り機に似た織機(しょっき)という機械で丁寧に編んだものです。


この経糸は、綿糸(めんし)、麻糸、マニラ麻糸が使われて、経糸の種類により畳表の
等級区分が分けられています。
ちなみに、マニラ麻糸は、高級畳に使われます。
畳1畳は、畳表(たたみおもて)と畳床(たたみどこ)から出来ています。


夏に畳の上に寝そべっているとどんな感じがしますか?
じゅうたんの上よりもずっとさらりとさわやかな感じがすると思います。
それは、い草のスポンジ部分が、湿り気を吸収する働きがあるからです。
また、反対に乾燥しやすい季節では、ほどよい湿り気を吐き出して、お部屋の湿度調節をしてくれます。
つまり、畳は呼吸しているのです。
畳1畳分の自然吸湿能力は、約500ml。
畳は、カーペットと比べて水分を吸う速度が遅いため、湿度の多い季節には、さわやかな感じがします。
つまり、高温多湿の日本の風土にピッタリ!とマッチした敷物と言えます。
1本のい草を断面で切ってみるとい草の中身は、フワフワとしたスポンジ状のようになっています。
そしてスポンジ部分には小さな穴が空いています。
この穴やスポンジ部分は、人体によくない二酸化ちっ素を収着し、空気をきれいにする働きがあります。
これは、東大工学部西村研究室の研究でわかりました。
●二酸化ちっ素収着能力(室温20℃)

「大気汚染学会誌・第18巻」大気汚染研究協会より
グラフを見てくだされば、畳表、い草がどれだけ空気の浄化を行っているか解りいただけると思います。
い草は、地球環境にやさしい敷物といえます。
江戸間は、徳川家康が江戸の幕府を開いてからできた畳のサイズです。
江戸間は、関東地方を中心に広まりました。関東間、五八間(ごはちま)とも呼ばれています。
サイズは、京間(本間間)より小さくなっています。
◆現在の江戸間(五八間) 1畳 88 × 176 cm
◆江戸時代の江戸間 1畳 約87.5× 175 cm
では、なぜ京間(本間間)サイズがあるのにわざわざ小さい畳を作る必要があったのでしょうか
その時代の建築方法によって決まったようです。
[]家の建て方
・室町時代
①畳を並べて部屋のサイズを決める。
②それに合わせて柱を立て、壁を作っていく。
畳を基準にして住宅のいろいろな部分の寸法が割り出されていました。
これをたたみ割りといいます。
<利点>
どこの家も同じサイズの部屋ができた。
家具類は、部屋と調和した形のものができるようになった。
<悪い点>
部屋の広さによって柱と柱の間隔が違うため家を建てる大工さんにとっては、めんどう。
・江戸時代
早く家を建てる必要があったため、柱と柱の中心間隔を6尺(約180cm)に決め、
これを基準に畳、引き戸や窓のサイズを割り出して家を建てていた。
<利点>
家は安く早く楽に建築できる。
<悪い点>
畳のサイズが、京間より小さい。
江戸時代の庶民は、せっかちだったり、火事が多かったことから、一度に多くの家を建てる必要がありました。そのため大工さんにとってたたみ割りで家をたてるよりも柱の位置を決めて家を建てたほうが早く安く仕上がったようです。
江戸間のサイズができたのは、その時代の人の生活の知恵があるように思われます。
このようにして江戸間は、関東地方を中心に広まっていきました。
「京間(きょうま)」「本間間(ほんけんま・ほんま)」という言葉を聞かれたことがあると思います。
これは、たたみの規格サイズのことを言い、主に京都・関西地方を中心に広まったサイズのことです。
◆現在の京間 1畳 95 × 191 cm
◆室町時代の京間 1畳 95 × 190 cm
室町時代の畳のサイズが、文化の発達・生活様式の変化と共に今の京間のサイズになったようです。
畳のサイズは、室町時代頃から京都地方で定まってきたようです。
室町時代は、武士中心の世の中でした。い草の生産が増え、生活様式が変化したため、家のつくりが変ってきました。
それぞれの部屋が区切られ、部屋に畳が敷きつめられるようになりました。
畳のサイズがきまってくると部屋全体のサイズも決まり、どこの家も共通した美しい部屋ができるようになりました。
畳のサイズは京都から始まり、今の住宅に大きな影響を与えています。
関西地方で京間(本間間)が多く使われるのは、このような時代の流れがあるからです。
その後、時が移り江戸時代になって、江戸間(五八間)ができました。
畳を使った部屋は、日本の家には少なくても1部屋はあると思います。
では、畳は、いつ頃から使われるようになったのでしょうか
私たちが、今使っている畳と同じように使われ始めたのは、平安時代の頃からです。
その時代の貴族たちは、寝殿造りの家に住んで、今の置き畳のように好きな所へ持っていって使っていたようです。
広いワンルームに置き畳を置いて、夏は風通しのよい涼しいところへ、冬は、日当たりのよう所へと移動して優雅に暮らしていたようです。丁度、雛人形のお内裏様やお雛様が一段高い畳に座っているような感じではないでしょうか・・・
このころは、貴族たちだけが畳を使用でき、一般に人々は、土間にむしろやわらを敷いて生活していました。
それ以前は、むしろ等を何枚も重ねて(1枚では、薄いため)畳のように使っていたようです。
なかでもい草(いぐさ)は、はだ触りのよう敷物でした。
い草でできた敷物を「ござ」といい、「御座」と書きます。
昔の人々は、神様をとても大切に思い、神様を天からお招きする(お祭り)為に「御座」を広げていました。お祭りのとき、病気、自然災害等をしずめてもらい、農作物の豊作をお願いしていたようです。
今でもお供え物をするのに、ござが使われているのもそのなごりと思われます。
い草の敷物が「御座」と呼ばれていたのは、他のどの敷物よりさわやかで美しく神様の座る場所にふさわしいと昔の人々は、考えていたようです。